日別アーカイブ: 2011年8月18日

資料整備保存事業

⑴ 松川資料室
1.書簡(手紙・はがき)の整備
 松川事件に関連した書簡は、合せて20万通にのぼると言われている。この内、松川資料室には被告が獄中で受信したものを中心に約1万5000通が集められており、法政大学大原社会問題研究所には、文化人・社会運動家などが受け取ってその後寄贈したものを中心として2000通ほどの書簡が所蔵されている。
 松川資料室では、大原社研の理解と協力(資料の貸し出し)を得て、「松川事件と文化人」(被告と文化人の往復書簡)をまとめる企画に取り組み、2年がかりで、ようやくゴールが見える地点に到達した。ここでいう「文化人」は、学者、弁護士、作家、詩人、評論家、映画・演劇人、画家、写真家、医師、出版人・出版社、宗教家、著名な社会運動家や、その関係団体などを含んでおり、その捕捉率は少なくとも95%以上になるはずである。そして、この書簡集の完成には、さらに人物・団体などについての解説(一般的説
明、および松川との関わりなど)を添える必要があるが、これまた骨の折れる作業となるであろう。
 この企画の作業に合わせて、これまでは先送りにしていた作業にも思い切って取り組んだ。すなわち、被告から被告へ、被告から家族(他の被告の家族を含む)へ、家族から被告(他の被告を含む)へ、家族から他の家族へ、などの書簡類は、従来はあくまでも差出人別に整理したままであったが、この機会に差出人と受取人の両方に重複整理した。また、差出人、受取人が複数の場合も原則として重複して整理した。
 さらに、書簡の中には、松川の被告や家族と同様の立場に置かれた各種事件の関係者(主として被告)からのものも含まれている。今回はこうした書簡類も抽出して集約した。この場合も、事件などの解説を添える必要がある。
 書簡の中には、以上に該当するものだけではなく、熱心に書簡を送り続けた人たちや、歴史の中に様々な形で名を残すことになる人たちも含まれている。また、資料室を訪れて自分が送った書簡の存在を訊ねる人もいる。こうした関心に応えつつ、書簡の資料価値をさらに高めるには、全体を差出人別・受取人別ファイルに整備することが必要になるが、時間的にも技術的にも、いまだ手が回り兼ねている課題である。

2.新たに収集した注目の資料
 その他、今期も様々な単行書、雑誌などが集まり(寄贈・献本・購入)、既定の方針にそって整備に取り組んだ。その内容は、いずれ資料目録の中で示すことになる。
 新しい資料の中には、裁判長あて要請書の類が数通あり、極めて貴重なものである。また、事件現場から回収された転覆機関車の火室の下蓋(燃焼後の石炭ガラの取り出し口)が新たに寄贈される。
 そして、松川資料室の整備が遅れていたために、福島市内の特養施設「はなしのぶ」に一時的にお預かり頂いていた書籍・新聞・雑誌などを引き取り、初歩的な整備を行った。書籍はひとまず資料室奥の書架に分類配架し、重複資料の一部は地域創造支援センター(CERA)の資料室に置かせて頂いた。新聞は差し当たり松川事件と直接重なる1970年までの分を資料室の奥に配架し、それ以降の分は附属図書館の新聞室に預かって頂いた。新聞記事の点検・コピーの作業はまだ後回しのままになっている。。雑誌は資料室奥に配架し、順次資料化の作業を進めている。その他にも、未整理で箱詰め・棚ざらし状態の資料が残っている。

3.見学者・利用者、小論執筆など
 今期も各方面からの見学者・利用者が来室した。8月末の日本母親大会では、松川特別分科会(経済経営学類大会議室、250人参加)に合わせて、資料室と資料特別展示(資料室前)に400人の見学者があった。10月には全退教北海道・東北ブロック交流集会の参加者がバス3台を連ねて松川ツアーに訪れた(115人)。この他にも、様々な地域・職業・年齢・団体に属する見学者があり、年間累計は750人にのぼる。また、研究員が外部に出かけて話をする機会も色々あった。
 これとは別に、今期も学者・弁護士・作家・記者など各分野の方々が、直接・間接に松川資料室と研究員を利用した。研究員が今期に書かされた小論は、法学館憲法研究所「今週の一言:松川事件とその教訓」(9月)、日本民主法律家協会「法と民主主義」12月号(検察批判特集)掲載の「松川事件 ―検察の犯罪」であり、集会イベントなどからの依頼に応えてメッセージなどを書いた。

4.資料室の整備など
 3月末、CERA が使用していたコピー機を松川資料室に移設した。これは資料室の機能強化と作業効率アップに大きく役立っている。資料室の展示用ガラス・ケースの安全性について消防署からの指摘があり、か細い4脚を安定した台座に取り替えた(11月)。
 資料の搬入・整備、見学者の案内などでは、今期も松川運動記念会の大きな協力を頂いた。福島大学と松川運動記念会の間の共同・協力協定(3ヵ年)が4月に延長更新されたにもかかわらず、協定に基づく松川資料室運営委員会は、新年度にはわずかに2回しか開かれず、十分な役割を果たしたとは言い難い状況にある。
 その他、資料室の役割にも関連して、4月に「福島大学松川事件研究所」(5ヵ年)が発足したが、今のところ報告に足る動きは見られない。他方では、資料室が主催ないしは管轄する松川研究会の設置・開催を求める要望が、幾人かから出されている。「松川学」センターとしての役割を担う松川資料室としては、「研究所」の今後の動向をもにらみながら、具体化を検討することになる。
 福島大学「松川資料研究基金」募集のお願いが学長名で提起され、7月からの1年間に1000万円の確保を目標にしている。合わせて、地域連携課の肝煎りで「福島大学松川資料室」(CERA)なる斬新なスタイルのリーフレットが作成された。これは兼ねてからの宿題の具体化でもあったが、各方面から好評を得ている。
 2010年には、資料室の作業促進のためにほぼ通年にわたってアルバイトのお力添えをお願いした。年末からは改めてパート職員に力を発揮して頂いている。そして2011年は、資料室の位置づけ、後継者対策などの重たい課題を抱えながら、資料目録の作成を中心にひとつの正念場を迎えることになる。
(研究員 伊部 正之)

松川の塔(松川記念塔)

松川記念塔
場 所 …JR東北本線金谷川~松川間、上り線の右脇、西方200メートルに松川事件現場
      当時の松川町の北辺(現在の福島市南部)
 除幕式 …1964.9.12(松川事件の無罪確定判決から1周年の記念日)
 碑 文 …広津和郎が起草、若干の字句修正を経て完成
 目 的 …「二度と松川をくりかえさせないために」(塔の裏面に刻む)

補足説明1 松川事件
 と き …1949(昭和24)年8月17日午前3時9分(現在の2時9分)ごろ
 ところ …東北本線金谷川~松川間(現在の下り線)の上り右カーブ地点
      当時は単線(上下兼用)、駅間表示は列車の進行方向によるのが相当
 状 況 …外側(左側)レールが外され機関車などが脱線転覆、乗務員3人が死亡
      レール取り外し地点は当時の金谷川村 →1955.3.20松川町に合併
      機関車転覆地点は当時の松川町 →1966.6.1福島市に編入
 被疑者 …国鉄労組福島支部10人、東芝松川工場(→北芝)関係10人を逮捕・起訴
 裁 判 …第一審・第二審で死刑・無期懲役を含む重大判決
      第1次最高裁で差戻し →仙台高裁で全員無罪 →第2次最高裁で無罪確定
 
補足説明2 広津和郎(1891.12.5~1968.9.21 小説家・評論家)
碑文背後に政治的意図が見え隠れする松川冤罪裁判を無罪に導いたのが「松川運動」。広津は被告たちの文章を綴った『真実は壁を透して』(1951)を読んで被告の無実を確信。以後、「中央公論」誌上で第二審判決批判を長期連載、執筆・講演・座談などで奮闘。1958.3.9松川事件対策協議会(松対協)結成、広津が会長として重責を果たしていく。ひきつづき松川記念塔建設委員会の会長として「松川の塔」の完成に貢献した。

補足説明3 関係資料(松川資料室所蔵)
 「松川の塔」碑文の拓本 …105×90センチメートル →および色紙(ミニチュア)版
 広津による碑文原稿(現物) …ガラスケースに常設展示
 「松川の塔」ミニチュア   … 同       上
 松川の塔(カラー写真パネル)
 「松川記念塔」建設運動資料(ファイル) …松川運動資料のコーナーに収蔵
 本田昇(元被告)「二つの碑 ―松川事件現場に立って―」(『ひろば』185号、1992.2)
 広津和郎の著作 …『松川裁判』『松川事件と裁判』『広津和郎全集』『裁判と国民』ほか
 広津和郎の写真・肖像画 …各種多数

伊部 正之(2011.6.28)