重要資料・メモ等

松川の塔(松川記念塔)

松川記念塔
場 所 …JR東北本線金谷川~松川間、上り線の右脇、西方200メートルに松川事件現場
      当時の松川町の北辺(現在の福島市南部)
 除幕式 …1964.9.12(松川事件の無罪確定判決から1周年の記念日)
 碑 文 …広津和郎が起草、若干の字句修正を経て完成
 目 的 …「二度と松川をくりかえさせないために」(塔の裏面に刻む)

補足説明1 松川事件
 と き …1949(昭和24)年8月17日午前3時9分(現在の2時9分)ごろ
 ところ …東北本線金谷川~松川間(現在の下り線)の上り右カーブ地点
      当時は単線(上下兼用)、駅間表示は列車の進行方向によるのが相当
 状 況 …外側(左側)レールが外され機関車などが脱線転覆、乗務員3人が死亡
      レール取り外し地点は当時の金谷川村 →1955.3.20松川町に合併
      機関車転覆地点は当時の松川町 →1966.6.1福島市に編入
 被疑者 …国鉄労組福島支部10人、東芝松川工場(→北芝)関係10人を逮捕・起訴
 裁 判 …第一審・第二審で死刑・無期懲役を含む重大判決
      第1次最高裁で差戻し →仙台高裁で全員無罪 →第2次最高裁で無罪確定
 
補足説明2 広津和郎(1891.12.5~1968.9.21 小説家・評論家)
碑文背後に政治的意図が見え隠れする松川冤罪裁判を無罪に導いたのが「松川運動」。広津は被告たちの文章を綴った『真実は壁を透して』(1951)を読んで被告の無実を確信。以後、「中央公論」誌上で第二審判決批判を長期連載、執筆・講演・座談などで奮闘。1958.3.9松川事件対策協議会(松対協)結成、広津が会長として重責を果たしていく。ひきつづき松川記念塔建設委員会の会長として「松川の塔」の完成に貢献した。

補足説明3 関係資料(松川資料室所蔵)
 「松川の塔」碑文の拓本 …105×90センチメートル →および色紙(ミニチュア)版
 広津による碑文原稿(現物) …ガラスケースに常設展示
 「松川の塔」ミニチュア   … 同       上
 松川の塔(カラー写真パネル)
 「松川記念塔」建設運動資料(ファイル) …松川運動資料のコーナーに収蔵
 本田昇(元被告)「二つの碑 ―松川事件現場に立って―」(『ひろば』185号、1992.2)
 広津和郎の著作 …『松川裁判』『松川事件と裁判』『広津和郎全集』『裁判と国民』ほか
 広津和郎の写真・肖像画 …各種多数

伊部 正之(2011.6.28)