資料室便り

松川資料室2011

松川資料室2011

                                                        伊部 正之(松川資料室研究員)

1 3・11東日本大震災の影響について
 3月11日午後2時46分ごろ、松川資料室は未曾有の激震に襲われた。資料室では、たまたま東京からの客人と地元有志とが懇談中であったが、打ち続く余震の中で屋外退去が指示され、さらには帰宅指示が出された。地震発生と同時に交通機関が途絶したため、大切な客人は1週間ほどの間、福島市内に足止めされた。こうして、折角お出で頂いた遠来の客人には、当方の不行き届きで何かとご不便・ご迷惑をお掛けしてしまい、返すがえすも大変申し訳なく思っている。
 地震による資料室と研究室の被害状況は次の通りであった。①大型ガラスケース内の展示物がほとんど落下して散乱したが、ケースそのもの倒壊は辛うじて免れることが出来た。これは2010年11月に消防署の安全指導に従ってか細い4本脚からしっかりした台座に取り替えておいたことと、パート女史が身の危険を顧みずにケースを支え抜いて頂いたことのお陰であった。②同じく書架のガラス入り上段が大きくずれて、次の余震では完全倒壊が必至の状況になっていた。③書架の文献・資料などが大量に落下し、特にいまだファイリング以前の資料は配列が分からなくなるほどに散乱した。④ガラス入り額縁(写真・絵画など)の多くも落下したが、幸いにもガラスの破損は免れた。このため、研究員(筆者)は余震による二次被害を避けるべく、帰宅指示後も資料室に引き返して、とりあえずガラスケースとガラス書架を復元するなどの応急措置を施してから帰宅した。その他の復元作業は封鎖解除後に行った。断水・放射能対策を余儀なくされたことも、何かと負担になった。

2 見学者の激減 …大震災・放射能災害の影響
 2011年の資料室見学者はわずかに100人規模で、前年実績の1割に留まった。自らも被災していて福島に行く余裕がない、あえて危険な福島には行けない、大変な状況にある受け入れ側に迷惑を掛けたくない、などの声が聞こえてきた。その結果、例年見られた大型バスを仕立てた松川ツアー(事件現場と資料室を合わせて探訪する)が見られなくなり、中型車やワゴン車での来訪も大きく減少して、見学者の大幅減少に繋がった。ただし、地元の中学・高校生による資料室見学(大学見学の中のオプションとして)が今回もあったほか、同窓会役員による見学が初めて実現した。
 今後に向けては、大学が全国に訴えた「松川資料研究基金」への応募者から、是非とも資料室を訪れたいという好意的な反応が出されており、「来てみてガッカリ」にならないように、資料室としてさらに努力していかなければならない。今後の見学予約もすでに幾つか寄せられている。

3 出前講座など
 2011年は仙台高裁差戻審無罪判決の50周年にあたっていたが、大震災・津波災害のために企画自体が沙汰止みとなり、記念講演の依頼は幸か不幸か免れることが出来た。これとは別に、地元での出前講座に呼ばれる機会が幾つかあった。特に地元中の地元である松川学習センターでの講座が例年にはない3回シリーズで企画されたため、かなり思い切った新たな構想と資料を用意して対応した。

4 資料の整理とデータベース化
 2011年12月から有能有意なパート女史が資料室に配置され、主としてデータベース(DB)作成のための入力作業を中心に大奮闘して頂いている。その結果、単行書・雑誌などの入力作業が大いに進んだ。雑誌の入力作業には地域連携課からのご協力も頂いた。
 同時に、資料室は福島大学松川研究所(2010.4~2015.3)の付属資料室という役割も背負うことになっているため、これに対応すべく、資料室では特に単行書や雑誌を中心にして、資料収集の範囲を意識的に拡大している。ただし、単行書にせよ雑誌などにせよ、必要資料を十分に確保し切ることは、現状では時間的にも金銭的にも残念ながら無理な状況にある。そうした制約・限界がある中でも、特に雑誌についてはこの1年間でおおよそ倍増し、雑誌書架の取敢えずの完成形態がかなり見えてきた。手紙・ハガキの基本整理も一応の完成に近づいた。
 今後の作業としては、裁判関係資料を真に利用し易くするための独自の工夫が必要であるが、諸般の事情を考えれば、構想の簡素化・簡略化も止むを得なくなるかも知れない。複雑多岐にわたる松川運動資料の点検・判別・分類作業は、これからも苦労を免れないであろう。その他、折角ご寄贈頂いた新聞の点検・資料化が残っており、未開封の箱もある。

5 研究員としての活動
 色々な方面からの資料照会があり、出版関係者・ジャーナリスト・劇団関係者などの来訪もあった。その成果の一部はすでにテレビ報道に活用され、新著の企画が進んでいる。しかし、研究員自身はもっぱら資料整理やDB化のための作業に忙殺されたため、出前講座のための資料作りなどを除けば、原稿執筆などの活動は出来なかった。そのため、せっかく「松川資料室」なるホームページ(HP)が開設されたにもかかわらず、またHPをつうじて全国に発信すべきテーマがたくさんあるにもかかわらず、ほとんど活用出来なかった。その意味でも、筆者にとってはまさしく「名ばかり研究員、はばかり作業員」の1年であった。
 大学財政のひっ迫、放射能対策の必要などが声高に叫ばれる中で、果たして2012年にはいかなる事態が待ち受けているのであろうか。

〈付記〉この年次報告は『福島大学地域創造支援センター年報 2011』に掲載された。