資料室便り

松川資料室2012

1 見学者 …鈍い回復傾向
 2011.3.11東日本大震災・原発放射能災害の発生は、松川資料室の存在と活動に改めて大きな試練を与えている。
 2011年の見学者は僅かに100人規模であったが、2012年には270人ほどになり、数字の上では通常年の半分ほどにまで回復したかに見える。ただし正直に言えば、この270人の中の100人ほどは、11月に開催された経済学部創立90周年記念行事への参加者(の一部)であり、見学者の本格的な回復には、なお時間がかかりそうである。
 見学者の中には、関西や四国、あるいは北海道などからの来訪者もおり、確かに従来よりも広域化している。見学動機の中には、支援する冤罪事件への対応策を求めて、松川事件の経験を学びたいという場合も見られた。

2 松川事件語り部養成講座への対応
 2012年の特筆事項としては、「松川事件語り部養成講座」への対応があった。
 この講座は、NPO法人福島県松川運動記念会と福島大学との共催(両者は2007.4から協力・共同の協定を結んでいる)の形で実施された。記念会の側ではこれを2013松川事件無罪確定50周年記念事業のプレ企画として位置づけ、大学側としては(研究員が不在になった後の)松川資料室の説明要員の養成・確保を期待しての協力(会場提供)であった。
 全10回の講座(1~10月の最終土曜日に開催)と映画上映会2回(4月と8月)を合わせて、延べ835人(実員では206人)が参加した。資料室では毎会のテーマや講師に合わせた資料を作成して、講座(や映画会)の成功に協力した。テーマには従来の松川学習会の範囲を超えるものもあり、そうした資料の作成には新たな工夫を取り入れるように心掛けた。しかし、講座が一定の啓蒙・教育効果を発揮し得たとしても、松川事件の持つ広がりと深さに照らせば、語り部養成という目論見の達成は今後とも簡単な話ではない。
 その他にも、地域の学習センターやグループからの要請に応えて、出前講座に対応した。いずれにせよ、地元の方々は独自の問題関心や体験・土地勘を持っている場合が多く、それに相応しい構えで対応する必要があるように思われる。

3 資料の収集・整備・目録作成
 資料室の日常活動の中心は、紛れもなく資料の収集・整備・目録作成であった。
 2012年にも多くの関係資料を入手した。主任弁護人であった故岡林辰雄弁護士の所蔵資料が関係親族の計らいによって資料室に収められ、整備・目録化の途上にある。また、事実上の被告団長であった鈴木信さん(福島市在住)の資料がご本人の希望によって資料室に寄贈されつつあり、岡林資料と並行して整理と目録化が続けられている。その他、様々な方面から資料が寄せられ、資料室が独自に収集・購入した資料・書籍・雑誌の類もいろいろある。
 資料の基本整理は主として研究員の作業であるが、古い資料(えてして痛みや乱れが激しい)ほど慎重な取り扱いが要求される。このため、基本整理自体が難航し、本来はデータベース入力を本務とするパート女史の手を借りるというご迷惑をかけ続けている。それにも拘らず、この間に女史が入力し得た目録点数は、この2年間で6000点に達している。搭載する目録には、単にタイトル・筆者(著者)などの基本情報だけではなく、これに何がしかの内容解説を添えることによって、内容理解を助け、あるいは利用の便の向上に役立つように心掛けている。このように、目録作成での大きな成果は、余人をもっては代え難いパート女史の大奮闘の賜物である。

4 研究員としての活動
 筆者は一応「松川資料室研究員」ということになっている。さて、どれほどのレベルの活動が「研究」に当たるのかはともかく、2012年には2本の雑誌原稿を書かされた。
 「庭坂事件を考える ―翌年の松川事件に繋がる謀略事件―」(福島大学地域研究)
 「松川事件と松川資料室」(国労文化)
これらは他の小稿や資料紹介と合わせて、ホームページ「松川資料室」にも転載した。
 ホームページが世間から注目され続けるためには、つねに新しい内容を補充していかなければならないはずである。「研究員」の立場から見ると、松川資料室(「松川学」の発信拠点)として発信すべき様々な研究・執筆テーマがあり得ることを感じつつも、研究活動の自由が全く確保出来ていない現状はいかにももどかしい限りである。

5 2013年が当面する課題について
 松川資料室にとって、2013年が平穏と発展の年となることを期待しつつ、最小限の課題を確認しておきたい。
 第1は、松川事件無罪確定50周年記念事業(記念集会や特別展示など)に対して、資料室に相応しい役割を果たすことである。
 第2は、2011年に他界された大塚一男主任弁護人の貴重で膨大な資料の受け入れを成功させることである。大塚弁護士は生前から所蔵資料の行く末を大いに心配し、相応しい施設を模索しつつ、最終的には松川資料室を選択された。松川資料室はその遺志に報いつつ、資料の保存と公開という資料室が担っている社会的使命に応える責任がある。
 さらに、資料室にはその他幾つかの重要な企画への参加が求められており、手抜きをせずにしっかりと対応していきたい。

                             (研究員 伊部 正之)